シモーヌ・ヴェイユは強制収容所から奇跡的に生還したユダヤ系フランス人で、第2次世界大戦後、治安判事として刑務所の待遇改善などを進め、1974年には厚生大臣に抜擢されて人工中絶の合法化に道を開く「ヴェイユ法」の成立に尽力した。1979年に欧州議会初の直接選挙で、欧州議会議員に当選し、同年欧州議会議長に就任し、1982年まで、議長として欧州議会のEU内、および国際社会でのプレゼンスの強化に努めた。その後欧州議会議員を1993年まで続け、欧州議会の権限強化のみならず、「多様性の中の統一」を目指すEU統合の象徴的存在として大きな貢献を残した。1981年には欧州統合に貢献した人物に授与されるシャルルマーニュ大賞とルイーズ・ヴァイス賞を受賞している。1970年代には欧州統合は足踏みしていたが、1980年代以降、欧州統合が新たな局面を迎える際に、彼女が欧州統合の象徴的存在として果たした役割が極めて大きかったことについて整理して報告した。